〜 間違いや失敗を見守る環境 〜
わたしは旭丘という高校を卒業しました。
自分でいうのもなんですが、超がつくほどの進学校です。
今も愛知県の公立高校入試で行われている複合選抜制度のちょうど1期生にあたります。
刺激だらけの高校でした。
出逢いの刺激、意見交換の刺激、学校生活の刺激。
未だに、毎年同窓会で会うことで当時の思い出話を朝まで語っています。
制服がないことが有名な学校なのかもしれません。
しかし、驚かれるかもしれませんが、宿題がほぼありませんでした。
3年間を通して、宿題として記憶にあるのは夏休みに英語の課題本を1冊読むことでした。
それ以外の宿題の記憶は一切ありません。
別にその英語本を読まなくても、提出物があるわけでもないので、先生にはばれません。
ただ、その内容が夏休み明けのテストに出ます。
自分の意志で学ぶ子は、成果としてテストでいい点をとれるが、サボった子は、悪い点をとるというものでした。
やらなければ、自分の不利益につながる。
社会にでれば当たり前のことです。
自分の行動は自分にかえってくる。
自分の行動には責任が伴う。
わたしは未成年である高校時代からそんな環境の中にいたのです。
わたしは当然(?)そんな英語本を読むわけなく、ひどい点でした。
それだけでなく、宿題がまともに出ないことを悪用して、まったく勉強していなかったので、高校3年間で定期試験で最下位を6回獲得しました(笑)
3年間で12回のテストがあったので、最下位獲得率5割なんです!(笑)
超がつくほどの劣等生状態で高校3年間をすごしました。
まったく勉強しなかったわたしを反面教師として、みなさんには学んでくださることを願うのみです(笑)
しかし、そんな最下位獲得率5割で過ごした高校生活が楽しくて仕方がありませんでした。
学力というものさしだけではかられてしまう今のような風潮の中だとしたら、最下位だったわたしは学校生活を楽しめたのでしょうか?
学校祭は、1週間続き、学校祭前の2週間ぐらいは学校祭の準備のことしか考えていませんでした。
部活動は全員参加で、原則として、どこかの部に必ず在籍していました。
駅伝では仮装して走り、林間学校では女風呂をのぞく方法を真剣に考えました(注意:のぞきは犯罪です・笑)。
大学入試に向けて本気になり、受験モードになるはずの3年生の受験直前に、何百ページもあるクラスの卒業文集を作成しました。
編集に参加した仲間はおよそ8割は浪人しました(笑)
ちなみに、クラスの半数以上が浪人し、『現役VS浪人は、浪人の勝ち!』と書かれた紙がありました(笑)
しかし、浪人し、最下位獲得率50%の状況であっても、学んだことは無数にあります。
机に向かって学ぶことよりも、経験して学ぶことの方が後の人生にもいきています。
問題を解いたことよりも、なにかに挑戦して成功したことの方が後の人生にいきています。
いや、失敗したことの方がよりいきているかもしれません。
そして、ふと高校生活を思い返すとそこに先生はほとんどいらっしゃりませんでした。
学校祭も、部活動も、駅伝も、安全管理のために先生はいらっしゃりましたが、我々が工夫し、アクションしている姿を見守っていただけのようでした。
(女風呂を本当に覗いた生徒を激怒するのも先生の役目でしたが・・・笑)
当時のわたしはそんなことに気付いていなかったので「先生ってなんもしなくて楽なもんだなあ」とか愚痴っていたかもしれません。
しかし、先生方は見守るという大切な役割を全うされていたはずなんです。
生徒が主役になり、創意工夫して、様々なイベントを運営していたので、当然、失敗したこともあったでしょう。
その失敗を防ぐために手を差し伸べたくなる先生もいらっしゃったのかもしれません。
しかし、その子ども達の失敗さえも見守り、許してくれる環境だったのです。
いまや、宿題を大量に出し、無駄に補講を開き、受験指導する学校・先生がありがたがれる時代になってしまいました。
塾のような学校を望む父兄からの要望に答えた結果です。
補講が開かれれば強制的に参加しなければいけなく、ガツガツ勉強をやらされる。
指示されて勉強し、与えられた課題をこなすことが、教育とされているふしがある今。
わたしはその流れに断固として逆らいます。
今の教育は、子どもたちの意志を奪っているのではないか?
子どもたちの成長する機会を奪っているのではないか?
子どもたちの自立を遅らせているのではないか?
子どもたちの失敗という貴重な経験を許さない状況になっているのではないか?
ガラパゴールでは、決められたカリキュラムの流れに沿った授業を行いません。
お子様の状況や要望にあわせて、グループ学習とリクエスト授業を行います。
そして、ガラパゴールで失敗を大切にします。
入試問題には必ず答えがあります。
模範解答があります。
しかし、生きていく上で直面する問題には模範解答などはありません。
ひとりひとりの答えが違っていいのです。
その違いを認める、受け入れることが自分の視野が広がることにつながります。
わたしは問題の答えを求めて、必死に考える子どもたちを育てたい。
間違えた答えを導く子どもたちを見守りたい。
そして、お互いが導いた答えを尊重しあう、時には議論する仲間との絆を育てたい。
その方針から生まれたのがガラパゴーのグループ学習です。
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2015年03月05日
自己紹介にかえて D
posted by 五十嵐 at 21:12| 自己紹介にかえて